暇な海老フライ

湿気ってます

ルッキズム?

 

外見から内面の異常性が分かればいいのに。

 

私は境界性人格障害の診断がついている。
境界性人格障害は操作性があるとか死ぬ死ぬ詐欺をするとか、所謂悪意のある呼称としての「メンヘラ」が実態を表しているかも。

 

ただ私は元々の能力が低くないのと環境的に恵まれているお陰で社会適応は比較的良い。

 

 

だから恋愛関係並の深さで関わらないと私の異常性は分からないと思う。

 

 


 
  

 

 

それが辛い。
私の異常性がすぐにわかって貰えないのがつらい。

 

 


私は人に執着することやその人の心を操作して自分のもののようにすることに安心と快楽を感じる。
私の存在の大きさを実感できるから、愛されていると思えるから。生きていてもいいと思えるから。

 

 


人の趣味を意思で変えることができないように、快楽としたくなくても快楽となってしまう。

 

 


快楽だけなら私としてはいいかとしれないが、同じぐらいかそれ以上に自責感や苦しさがある。

   

 

 

書いてて思ったけど依存症みたいだ。

 

 

 

強く深く好きな人(恋愛感情じゃない場合も含む)に執着してしまって、そのうちぼろがでて拒絶の態度を感じて。

 


私が、私が悪い。それはその通り。


だから、相手を気持ち悪がらせたこと不快にさせたことに申し訳なくて恥ずかしくて悲しくて自分が嫌で死にたくなる


毎回、当たり前なんだけど私の異常性は執着心は他者を好きな人々を怖がらせるんだなと思う。
 

死にたくなる

 


何回もおなじことを繰り返してきて、毎回苦しいのにやめられない。

 

想像して見てほしい。
大好きな人と途中まで仲良くできていたのに一定の関係をこえると自分のせいで嫌われるという体験を何回も繰り返したら。

 


私がわるい。相手が悪いわけじゃない。自業自得。

 

分かってるからくるしい。

いっそ相手のせいにしたい、心の1部だけじゃなくて全てをおかしくしてほしい。

 

 

 

 


私の異常性が外見から分かればいいのに。


そうしたら誰も近づかない私の社会適応の高さに、表面上の親しみやすさに騙されずにすむ。


誰も傷つけない私も傷つかない。

 


寂しい。

 

時間薬

まともなタイトル

 

 

 

 

 

前も書いたと思うが私は私の苦しかった気持ちを忘れることが怖い


私が世界でいちばん苦しかったときのことを忘れたくない。

 

きっと昔より今の方が苦しさを「正しく」認識している。

 

 

状況を客観的に見られるから。状況的なしようがなさ、他者の苦しみとそれからの関係や知ったことも加味して考えられるから。

 


親も苦しかった、あの子も苦しかった

 

 

 

そんなのいらない。正しくなんかわからなくていい。
私が「正しく」分かるべきなのは仕事における他者の心だけでいい。

 

 


正しく分かりたくなんかない。許したくなんかない。あの頃は、なんて懐古したくない。
私の苦しさを過小に評価したくない。


そんなの昔の私を否定するようだ、あの頃の私は苦しさがアイデンティティだった。

 

自分の感情だけは主観的でいいのに。


臨床家としての成長は私自身の客観視を強める。

 

これをきっと世間では「大人になった」というのだろう。

 

 

 

 

 

 

なんてつまらないんだろう。
主観を忘れてしまったら何もかも意味が無いのに。

 

苦しかった私を否定したら、苦しい誰かの気持ちを「いつかは違う見方ができる」と「大人」なアドバイスをしそうでこわい。

 


そう多分それこそが怖い。

自分が苦しかったからこそ他者の苦しみを否定したくないのに。

 

 

 

私は私が時間の経過とともに苦しかったことを忘れて幸せになって、「あの頃は」なんていうようになるのがこわい。

 

幸せを怖がらず安寧だと思ってるのがこわい。まだこわい。

 

いつかこの怖い気持ちも不安も忘れてしまうのだろうか。

 

 

クリスマスイブにODをした話

今年もクリスマスが終わりましたね。

皆さんどうお過ごしでしょうか?


恋人もちの🍤は記憶もないぐらいぐっすり寝てました。

 


Xデーのクリスマスイブ。🍤は彼女と、(怒ってた当時ですら)本当にしょうもないと思うことをきっかけに日頃の不満が噴出し、死ぬの死なないのの大喧嘩をしてました。
大喧嘩というか私が一方的に拗ねて怒って彼女もいい加減怒ったというか。

 


死んでやる!ていって、彼女も売り言葉に買い言葉でもうしらない、て感じで、多分ニューレプチルとデエビゴを何十錠という単位で飲んだ。

やっぱ凶器があると攻撃性が誘発されやすいのと一緒で、死ねる手段があると死のうと思った時に行動に移しやすいね。

 


ここが高いところじゃなくてよかったというか。良かったのか悪かったのか。


住んでるところが高層階とかもっと死にやすいところだったら、1回ぐらいは死んでいそう。

 

 

話に戻ります。
ODしたけど、結局彼女に止められて懇願されて吐いた。

 

最初は「ODしても止めないでいてくれるじゃん」て思ってたけど途中でとめてきたのは薬をサラサラ飲んでいる私が、死に近づいているようで怖くなったのかな。

 


吐くのって結構簡単なんだね。吐くという行為にすごく嫌悪感があってほとんど吐いたこと無かったけど、お茶をたくさんのんだらするする吐けた。

 

これは摂食障害も増えるなあと。
喉に手を入れた時特に手に負荷を感じなかったけど、吐きダコってできるものなのか

 

その後は少し落ち着いて仕事を休む連絡とか遊びのリスケとかを連絡して寝た?のかな。薬が効いてきてる頃であんまり覚えてない

 

それから丸一日彼女いわく「死んだように」眠っていた。
トイレにもいかず、水も飲まずただただ寝ていた。


寝ている間サイゼリヤで食べ放題した夢(を見てたらしい。1時起きたときにそういったとか)と精神科に入院している夢とバイト先を辞めさせられる話と友人に嫌われる夢とぴちぴちぴっちの世界で世界を救おうとしている夢をみた。 

 

精神科の夢は、夢の中で私は抑うつ感がとても強く体もだるく鼻詰まりが酷くて息も余りできずすごく辛い中で死ぬのも辛いしどちらがましか、ておもってた。
うつがいちばん酷かったときは「出かけられても途中で動けなくなるんじゃないか」てこわかったけど、その時に近かった。身体症状と精神状態が現実の私とリンクしてたんだとおもう

友人に見捨てられる話とバイト先を辞めさせられる話は私が恐れていることなんじゃないかな。

 

夢から覚めた時、これは深層心理なんだなと思うことはよくある。

 

 

夢、全体的に辛かった。コンスタントに1週間のうち1日〜2日は悪夢を見る。

 

 

 

そして26日の午前に目覚めてやっとまともに活動できるようになったのは午後。


もうそときはなるでなにもおこらなかったかのように怒りも薄れて、彼女も優しく接してくれてなにもなかったかのように過ごした。

 


衝動性で怒って、落ち着いたらなにもなかったかのように、とてもとても都合がいいね。

 

精神疾患で死亡率が1番高いのは摂食障害だけど、これは自殺だけじゃなくて身体的に死んでしまうことが多いと思う。自殺と言わないわけじゃないけど直接的な自殺では無いというな


境界性人格障害の自殺率は深刻なうつ病
と同じくらい、てなにかで見たけどなんとなく深刻なうつ病はちゃんと計画して自殺するのかな、て。それともある日ふ、とした感じで死んでしまうのかな。

 

 

今回は、わりかし私の中では本気でしようと思った時だったけど死って特異的な物ではなくて本当に身近に、隣り合わせにいるなと思った。

 

本気で死のうと思えば飛び降りたり飛び込んだりすれば30分以内に死ねる。


そして死が日常的なものであるように生も日常であるから、死の淵から戻ってきたとしても日常は変わらなく廻る。

バイトのシフトはあるし方々からの連絡も返さなきゃだし


だからこそ死にたいと思った時、どうすれば生に戻らずにすむか、どうすれば戻ってしまった時なんとかするか、て考えなければならない。


死ぬ事を考えながら死ねなかった時のことを考えるなんておかしいよね。覚悟がないんだと思う

 

死にたいのに結局、結局死ぬのは怖い。

 

前より生きるのが辛くないのもそうだし、そういうのとは関係なしに存在が消えるという根源的な恐怖に抗えない。


結局死にたさの薄い私は衝動性でしかこの世に蹴りをつけられない


遺書をそろそろ更新しないとな。

 

 

 

 

さくさくのエビフライ

こちら暇なエビフライ。

今日から暇になった。

 

でも、少なくともこれから暫くは湿気ったエビフライではない。

 


この幸せを、開放感を覚えておくために、忘れない為にここに記す。

 

 

最近仕事を辞めた。新卒で、勤めて1週間で、もちろん正社員。

 

 

今退職手続き中でまあもう無職のようなもの。

 

 

なのにすごく、すごく幸せ。物心ついて以降で1番自由になった気がする。

 

無職なのに?国家試験を来月に控えてるのに??なぜ??

 

 

 

 

小学生の頃から私は「〜しなければならない」といういわゆる「べき思考」が強かった。小学生のころの私は公立の小学生にしては少し成績が良かったせいか、「自分は沢山勉強して立派な仕事についてお金を稼がねばならない」と思ってた。強迫観念に近い。幸せになるために、とかではなくてそうしなければ全てが終わりのような気持ちだった。なぜかは分からないが、この時点で既に私の思考のような認知のようなものは歪んでいた。

 

 

 


中高の頃は恋愛と、訳の分からない自分の精神の不安定さ(後に境界性人格障害の診断がついた)と、集団になじむことのしんどさ(この頃は馴染もうとしてた)と、勉強の仕方のわからなさと、部活のしんどさと、本当色々から自律神経を崩し精神を病み不登校になった。

あのころは酷い鬱だったようにおもう。リストカットもodもこの頃からしていた。
あと家族との関係も、もというか多分これが1番しんどかった。私の親は少し、少し支配的だった。金銭で私を管理しようとしてた。

 

 

双子の弟はこの頃から不安症の薬を飲んでおり、私はこの頃から鬱や不安や不眠の薬を飲んでいる。環境要因だろうなと思ってる。

 

 

 

 

大学受験は、浪人したのに失敗した。最低ラインは受かったが、それでも自分としては大失敗だった。正直とても受験とかできるメンタルじゃなかったのに、この頃ですら私は「良い大学に入らなければならない、そうじゃなきゃ価値は無い」と思ってた。勉強できないのに、落ちこぼれなのに進学校にいたというつまらないプライドだけがあった。

 

誰も良い大学に入れなんて言ってこないのに。なぜか私が、1番強くそう自分を縛ってた。浪人して最低ラインの大学に入れなかったら自殺しようと思ってた。死ぬ勇気なんかないくせに。

  

 

 


大学時代。相変わらず自律神経もメンタルも死んでる。恋愛関係と友人関係でかなりこの頃も消耗してた。心理学科はまあ、お察しの通り私も含めて病んでいる人が多かった。

 

 

 

病んでいる人は悪くないのだが、病んでいる人を勝手に心配して気をつかって勝手に疲れて消耗していた。

 


大学受験は失敗したから大学院で学歴ロンダリングをしなければならないと思った 。資格をとらなければならないから、大学院に行くことは決めていた。資格をとらないと死ぬぐらいの気持ちだった。またべき思考、コントロールの効かない、中身のない思考。

 

 

 

元バイト先の同僚に「なんで大学院行かなきゃならないの?」と聞かれて上手く答えられなかった。上手く答えられないのに、この強迫観念の根っこにも先にも理由はないのわかってるのに、不安をコントロールできなかった。達成できないと自分が無くなってしまう気がした。

 

 

 

相変わらず精神は死んでて、精神科に少し入院した。精神科の先生が親に色々言ったみたいで親から謝られた。この頃から少しづつ親との関係がよくなってくる。

 

 


大学院受験。勉強への強い強い不安とメンタルの悪さ、ある事件に巻き込まれたこと、恋愛で死んでたこと、色々でだめになって、受験の日の前日?に自殺しようとして当時の恋人に警察呼ばれてもちろん受験はできなかった。

 


そして2度目の浪人時代。大学を卒業して勉強しなきゃならないのに不安が強すぎてできないけど時間はすぎていくことへの強い罪悪感に苛まされながら毎日死んだように生きていた。傍目には気楽なフリーターに見えただろうけど。酷いときは1週間、お風呂に入れないで布団にくるまってた。   

 


大学院受験。なんか色々ありうかった。学歴コンプ(少し薄くなってたけどまだあった)が刺激されないぐらいのところに。学歴なんて、とは思うがまだ呪縛から逃れられてなかった。

 

うかったのは自分で作った暗記プリントを貸してくれた友人のおかげだと思う。情報の取捨選択が苦手な私にはその暗記プリントは本当にありがたかったし助かった。

 

この大学院合格という多少なりとも努力が形になったおかげで、学習性無気力が少し軽く?なり、努力するのが、挑戦するのが少し怖くなくなった。

この頃からメンタルが少しづつ上向きになる。

 

大学院時代は、1年の時は恋愛で死んだが、それ以外は本当に楽しかった。教授と先輩と後輩と、何より同期に本当に恵まれた。長い長い学生時代の中で間違いなくいちばん楽しい時間だった。

 

 

 

そして今の恋人にこの時出会った。

今の恋人に出逢えたことが私のメンタルの改善に一番大きく寄与した。

 

 

 

 

 

 

今年3月に大学院を卒業し、仕事を辞め、5月の国家試験が終われば私の「〜しなければならない」リストがやっと、やっと終わる。


良い大学に、大学院に行かなければ、お金を稼がなければ、資格を取らなきゃ、安定させなきゃ、死ななきゃ

 

 

〜しなければならないリストは色々あった。

 

 

親との関係が良好になるにつれて、今の彼女と付き合うにつれて、人間関係が洗練されるにつれて折り合いがつけられるようになったもの、達成出来たもの、コンプレックスになってしまったもの、色々あった

 

 

 

 

 

 

〜しなけれならないリストはあと資格を取ればおわる。

これから、やっと私の人生が始まる。

    

 

 


年齢的にはとうにアイデンティティ同一を達成してモラトリアムに終わりを告げている年齢なのだが、やっと私のモラトリアムが今始まった気がする。

 

 

 

 

〜べき、じゃなくて私がやりたいからやればいい、やらなくてもいい。

 

 

 

 

 

 

 

お金は、必要だけれども最低限でも彼女と二人なら贅沢はできないけど幸せに生きていける。最低限でいいならバイトでも非常勤でもいい


仕事は、やりたいことがある。いつか心理面接がしたい

 

あと余暇にハンドメイド作品を作って売りたい。ディップアートに挑戦して花束を作ってみたい。

 

 

 

 

〜べきじゃなくて、やりたいことが沢山でてきた。進まなきゃいけない道じゃなくて、進みたい道が見えてきた。

 

 

 

 

 

こんなふうに私の精神が安定したのはまず一番に彼女のおかげ。彼女という安全基地があったから、外に出ていける。

 

 

そして同率で友人や家族のおかげ。

 

 

 


そして、おかげというかわからないが「時間の経過」もかなり重要だったと思う。心理に携わるようになってから「時間薬」という言葉の意味を強く強く噛み締めている。

 

 

時間は偉大だ。

 

長い時間の経過でしか決着がつかないこともある。

 

 

 

 

 

 

 

 

人生を振り返っていたら長くなった。

 

 

 

 

 

私は今幸せだ。やっと私の人生が始まった。やっと自分に縛られずやりたいことが自由にできる。

 

 

 

 

 


繰り返すが、こうなれたのは今の彼女、どんな時も私を助けてくれる友人、家族のおかげだと思う。

 

 

 

 

 

本当にありがとう。これからもよろしく。今私は幸せです。

 

 

 

 

これからまたいつかしんどい時もあるかもしれないけど今のこの幸せをずっと覚えていたい。

自分は不幸だなんて恥ずかしいことを言わないように。

 

 

 

生存者バイアス

元気になった

幸せなんだけど幸せというには抵抗がある
私にとっての1番の幸せは人生がおわることだからだ。何ももう考えたくない。


本題に戻る
私はしんどいとき「なんとかなる」という言葉をよくもらったがこの言葉が大嫌いだ(言葉自体が嫌いなだけで贈った側には善意しかないので嫌ってはない。何も考えてないだけだ)

なんとかなるなんて生存者バイアスだ、何とかなった人しか残ってないだけじゃないか、渦中の人にとってすぎた人の言葉なんてただの無責任としか思えない、何もかも生存者バイアスだと教授に力説したらそうだと言われてしまった



なんとかならなかった状態もそうだがそれより「なんとかなるかならないかわからない」過渡期がいちばん辛いのだと思う


過渡期が辛いとは昔もブログで書いた




私は運良く「何とかなってしまった」側になった
このブログを読み直すまで過去の苦しさを少し忘れていた。あんなに苦しかったのに


苦しかったことは忘れたくない。苦しかった悲しかった死にたかった自分も今の自分を構成する大事な要素だ
忘れたくないのに。幸せな記憶と言うのにどうしても強い
親への恨みすら忘れたくない忘れたい分からない



いつか私もしんどい人にたいして「なんとかなるよ」などという無責任な言葉をかける「大人」になってしまうのだろうか


それがこわい
私はなんのために苦しみを経験したのか
意味がなくなってしまう

ハッピーな近況

久しぶりのブログ

しんどさをわざわざ言語化して公開して誰かが知っていてくれることを祈らなくても、なんとかなるようになったからこなくなった

ブログを見返してて私は随分変わった気がする
昔はしんどかったんだなって元気になった今ならわかる


元気になった、多分
就職先は決まり優しい恋人がいて大学院の環境もよく幸せ
多分メンタルがしんどくなってきた小学校高学年から考えると今が1番幸せ





なのに未来への希望というものは終ぞみられなかった
幸せ、だけどなんとなくいつでも死ねたらな死にたいなと思ってる。
やはりこういうところが過去の延長に現在があるのかもしれない

メンタルは1度やられたらもう戻らない
私はもう元気だった頃の何も考えず生きている頃が当たり前だった頃には戻れない

死ぬ事がいつも頭の片隅にある
私は変われなかったのか?

レズ活①

牡蠣がおいしい季節ですね
こんばんは!



彼女に1週間で振られた海老フライです!


彼女に振られて寂しいし彼女作ろうとレズ活を始めました


※レズ活とは、彼女を作るために行動すること


まず恋人募集の文章をレズの掲示板2つに載せたのが3日前(レズの恋人作りとしてはわりかしポピュラーな出会い方です)

今現在までで、10通きてて、4人と連絡とってます。

今日は1人目とご飯を食べてきたので次のブログに詳細についてかきます