先日ニトリで接触冷感のイルカの人形を買った、というかござを買いに行ったはずなのにいつのまにかイルカの人形も買っていた。
抱き枕がずっとほしかったのでつい
そして一昨日、ニトリをあてもなくフラフラと歩いていたら(あわよくばいい抱き枕があったらもう一体欲しいと思っていた)鮫の人形を見つけた
しかし惜しい、サイズが理想よりワンサイズ小さいのしかない、これでは抱きつくことが出来ない
先日購入したイルカと同じ大きさとなるとのぺっとした赤ちゃんペンギンか鯨しかないので一旦諦めた
イルカと対になるのは鮫じゃない?
そんなわけでここならあるだろう、と渋谷の大きいニトリに鮫の人形を買いに行ったのだがここにも売ってなかった。
店員に聞いてみたところ今年はこのサイズの鮫は販売してないとのこと
結局まつ毛の長いペンギンの人形を買った
とても可愛いのだけどひれがあって抱きにくい…
本題
今日は自傷痕について勝手に語ろうと思う
自傷痕について大抵の人は良いイメージを抱かないだろう。
程度にもよるが綺麗なものでは無いし多くの人にとって「理解できない行動」であるから。
なので私は外に出る時や人に会う時はできるだけファンデーションテープというものを貼って隠して他人に不快感を与えないようにしている
しかし大抵の人に良いイメージを抱かれなかったとしても私にとって自分の自傷痕は愛おしい
例えば誰かにとっての形見の指輪や恋人とのペアネックレスのように。愛おしくて大事なもの
初めてのセンター試験前に切った傷、なんとか大学に行こうと前日からちゃんと準備していたのに行けなかった時の傷、元彼の家でどうしようもないほど悲しくてつけた傷痕、3日ぐらいやる気がなくて動けない自分に嫌気がさしてつけた傷、無気力な自分を動かすためにつけた傷
なぜ切ったかいつ切ったか、そのときどんな感情を抱いていたか全てではないが覚えている
なぜそんなものが、愛おしいか?
それは辛い思い出も含めて私は私であるから。自傷するほど悲しかった苦しかった寂しかった過去を経て今の自分がある。傷はそれらのことを見る度に思い出させてくれる
また傷は生きてきた、生きている証でもある。
辛い時は傷を見て昔の自分はそれでも耐えられたのだから、だから私はまだ大丈夫、まだ生きていける、まだ頑張れると思い込める
カッターで肌を切れば当然痛い。切ったあとは止血消毒をして包帯をまいたり絆創膏を貼ったりする。深く切って血が沢山出てくれば怖くなる。自傷を行うぐらい追い込まれているのに人にできるだけ見られないような場所を切ろうとする。
「メンヘラ」はコンテンツではなく具体的な存在である
#文章がぐちゃぐちゃなので後日加筆修正