暇な海老フライ

湿気ってます

お布団とゴミだらけの机と夏

引きこもりなので親がいるリビングに行きたくなくて薬が飲めない。あとなんか全てが面倒くさい。


一見薬を飲むという出来て当たり前の行為、量と種類が多くて飲まなくてもいい時期が見えないと大変精神的に苦痛となる





今日は主に今日のツイートの供養を。このブログを書いたあとにはツイートは一つ一つ消していき頭の中のゴミ箱にいれる。


衝動的なものを除き、自殺を実行する時(できる時)っていつだろうと考えた。



私は未来に対して何一つ希望がない

「なにがやりたい?」「何になりたい?」「何が楽しい?」


その「なに」がないときは分からないときはどうすればいいのだろう?
できれば生きていたくない、というのが1番今の自分の気持ちに近い。そんな事言われても相手が困るだろうから対外的な答えは用意してあるけど



人生に疲れた。
希望のない人生を生きるのは辛い

人が慰めてくれたり話を聞いてくれたり優しくしてくれたり私が何かやったところで未来への希望なんて生えないから虚しい


なんでもいいから生きてくれ、生きてさえいてくれればいいとか言われると困るし悲しくなる。


生きていること自体が苦痛なのに自己嫌悪に苛まされて苦しいのに。
○○が死んだら私は悲しいなんていわれるともっと死にたくなる。お願いだから追い詰めないでほしい。「死ぬ」という唯一の逃げ道まであなたがたは私から奪うのか


死んで欲しくない、生きててくれるだけでいいという優しい気持ちから出た言葉だということまで分かるから余計に辛い。

これらを全部背負ってでも死ぬことが自殺というエゴを行う代償なんだと思う



本当に優しいなら殺して欲しいできるだけ、できるだけあなたが自殺幇助の罪を被らないようにせめて軽くなるように協力するから


安楽死が合法の国に行けばいいとかじゃなくて死ぬ時ぐらいは寂しいと思いたくない。

でも死ぬ瞬間まで人に迷惑かけなきゃ死ねないなら死ぬ権利はない


私はいつ死ねるだろうか