元気になった
幸せなんだけど幸せというには抵抗がある
私にとっての1番の幸せは人生がおわることだからだ。何ももう考えたくない。
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私はしんどいとき「なんとかなる」という言葉をよくもらったがこの言葉が大嫌いだ(言葉自体が嫌いなだけで贈った側には善意しかないので嫌ってはない。何も考えてないだけだ)
なんとかなるなんて生存者バイアスだ、何とかなった人しか残ってないだけじゃないか、渦中の人にとってすぎた人の言葉なんてただの無責任としか思えない、何もかも生存者バイアスだと教授に力説したらそうだと言われてしまった
なんとかならなかった状態もそうだがそれより「なんとかなるかならないかわからない」過渡期がいちばん辛いのだと思う
過渡期が辛いとは昔もブログで書いた
私は運良く「何とかなってしまった」側になった
このブログを読み直すまで過去の苦しさを少し忘れていた。あんなに苦しかったのに
苦しかったことは忘れたくない。苦しかった悲しかった死にたかった自分も今の自分を構成する大事な要素だ
忘れたくないのに。幸せな記憶と言うのにどうしても強い
親への恨みすら忘れたくない忘れたい分からない
いつか私もしんどい人にたいして「なんとかなるよ」などという無責任な言葉をかける「大人」になってしまうのだろうか
それがこわい
私はなんのために苦しみを経験したのか
意味がなくなってしまう